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1911年世代--113歳
三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 1984年2月6日)は、日本のプロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・球団経営者。 香川県仲多度郡神野村(現・まんのう町)出身。 選手としては、1934年に発足した大日本東京野球倶楽部(後の読売ジャイアンツ)の契約第1号(日本初のプロ契約選手として紹介される場合もあるが、1920年代に日本運動協会などが発足していたため、厳密には誤りである)。 監督としては、選手の調子・ツキを見逃さない慧眼の持ち主で、周囲の予想を超える選手起用・戦術で数々の名勝負を演出し「三原魔術」と驚嘆され「魔術師」「知将」の異名をとった。日本プロ野球史上、日本野球連盟、2リーグ分立後のセントラル・リーグ及びパシフィック・リーグ両リーグ加盟球団での日本選手権シリーズ(日本シリーズ)といった、3種類の優勝を経験した唯一の人物(セ・パ両リーグでの日本シリーズ優勝経験監督は、水原茂・広岡達朗がいる)。監督としての3,248試合出場は日本プロ野球記録である。また監督としての5球団在籍も藤本定義、石本秀一と並ぶ日本プロ野球タイ記録である(監督代理を含めず)。 記者として、報知新聞社→読売新聞社に勤務していた時期があるほか、晩年には日本ハム球団株式会社(日本ハムファイターズ)の代表取締役社長兼球団代表→相談役を歴任した。 旧本名及び巨人総監督退任までの表記は「三原 修」(読み同じ)。 長女の敏子は中西太の妻であり、三原は中西の義父に当たる。