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1909年世代--115歳
中島 治康(なかじま はるやす、1909年6月28日 - 1987年4月21日)は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(外野手)、監督。愛称は班長。 巨人軍草創期の四番打者。職業野球リーグが開始されると数多くの打撃タイトルを獲得し、巨人の第一期黄金時代の主軸打者として活躍。特に、1938年秋季には打率.361、本塁打10、打点38の圧倒的な成績でNPB史上初の三冠王となり打撃王の名を高めた。1943年には監督に就任し、兵役で選手が払底している中で巨人を優勝に輝く。戦後、1950年の両リーグ分立に際して大洋に移籍し、監督も務めた。引退後は、読売新聞運動部に在籍し、野球記者としてアマチュア野球論に健筆を奮った。1963年野球殿堂入り。